【呼吸の料理とインナーゲーム】

私が料理をしていた時、
日々、料理人は弛まぬ努力をしている姿をみてきた。
料理は苦悩と努力の賜物だった。
飲食店に行って、ふにゃふにゃパスタが出てきても、
キッチンで必死に作っている姿をみると今でも頭が下がる想いだ。
 
料理をつくる仕事をしている人は、
よく、料理が上手な方は、味付けに悩まなくてもいいですね、と
言われることもあるかもしれない
が、
実際はそうではないのではないかと思う。

キッチンに入って作業していると、料理人は、あーだこーだ、味付けが決まらない、
盛りつけが決まらない
、次のメニューが決まらないと悩んでいるものだ。
即興料理をしているなら尚更だし、忙しくなると殺伐とするキッチンなら、
プレッシャー
と時間制限で、さらに決まりにくくなる。
素材を思うように調理したい想いと、思ったように行かない想いが、
心の中で、葛藤を繰り
返す。ガルウェイが言っているように、
アウターゲーム(ここでは
実際の料理)を脇に、
インナーゲーム(ここでは自分の内なる葛藤
)を戦っているのだ。
別に料理人は、料理がうまいわけではなく、
その葛藤を「やり過ごす」事に、普通の人よりなれているだけ。
んな風に考えれば、料理も少し考え方が変わってくる。