拒否感のフチを越える。
今、九州での講座中。昨日の「呼吸の料理教室」の中で、境界線を越えるという話をさせて頂いた。
境界線というのは、自分ルールが聞く場所と聞かない場所の境目のこと。たとえば、家族にはある一定の価値観があって、それを越えると否定されたり、怒られたり、ひどい時になれば、縁を切るなんて話も昔にはあったかもしれない。
家族じゃなくても一緒で、社会にもその時その時で、一定の価値観があり、その枠の中の価値観に従っているうちはいいけれど、その外に出ようとすると、もしかしたら仲間はずれにされるんじゃないか、何か自分を否定されるような出来事が起きるんじゃないか、と恐怖感を感じることもある。そして、なかなかその外に出られないかもしれない。
こんな風に、地域や社会、家族や友人間など、様々なところに価値観同士の境界線が存在している。
(僕は、空手をやっていたので、自分の間合いに相手が触れてきた時、「いやだな、自分が前に出ようか後ろに引こうか、あぁ、どうしようと」いう超えられない葛藤をよく味わっていたので、この感覚に似ているような気がする。)
自分の中の境界線
もちろん自分にも境界線があって、結局は、全部自分で線引きをして境界線を作っているだけなんだけど、その境界線がなかなか超えられない。
なんでかというと、そこを越えると、大小はあるにしろ、なんらかの形で挫折をしなければならないから。挫折というのは、ある意味、今まで生きてきた人生の一部、または全部を否定されるわけだから、本人にとってはとても辛いし、耐え難い体験の一つ。(もちろん程度の多少はある。)
サイコセラピーやコーチングなんかも結局は、そこの自分にとって耐え難い「淵」に気づくことをいろんな方法を通してやっていて、フードサイコロジーももちろんそう。淵に気づいて、それをちゃんと味わうと、圧倒的に人生の質が変わっていく。
料理で小さな挫折を体験する
僕は、呼吸の料理というのをやっているけれど、料理というのは、小さな挫折を日常的に体験できる。みんな料理をすると、今まで体験してきた社会構造や家族、自分の価値観をもとに料理をするし、味付けの好き嫌いもそこに色濃く反映されるから、なかなか、いつもの味や調理法から抜け出せない。
ようは、頭の表面で考えるレシピだけで調理しようとすると、思考の裏側にはかなり強い感情的背景が影響を与えていて、そこから脱け出すことができない。
でも、逆に、考えることをやめて、感じる感覚を使うと案外楽に脱け出すことができる。
呼吸の料理は感じる力を高めて調理する技術なので、呼吸で調理すると、結果的に自分の知っているレシピ以外のものができることが多い。そして、できあがった料理を見てほんの少しの挫折を味わい、新しい発見をする。
そして気づく。。。
昔、好きな子にラブレターを夜な夜な書いた時、朝、もう一度見直して、恥ずかしすぎて何度も破り捨てたことに・・・笑
思考の裏に潜む感情の力から抜け出すには、一歩引いて感じる力を鍛えなければならない・・・
心と体を使って、自分のフチを味わい超える
フードサイコロジーのワークが近々リニューアルします。
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