食べ物が届く先には、5つの層がある

葛藤があると、エネルギーはそこでロスする

生まれたばかりの赤ちゃんは、心と身体の感覚がひとつです。
そこから、肉体が成長するにつれて、2つの感覚はしっかり分離していきます。理性的に切り離せるようになると、立派な社会人になっていく。
これが、いまの一般的な「社会人になるストーリー」です。
でも、立派な社会人として生きていると、心と身体のズレから、なんとなく違和感が出てくることがあります。
この違和感は、うまくいっていない証拠ではないと思っています。新しい旅路の始まり、という感じ。
僕がやっているワークショップは、気の使い方を習得するためのものではなくて、心と身体の感覚をもう一度近づけていこうという試みです。
ただ、これは理性やロジックでいくらやっても近づきません。分離させてきたのが理性のほうなので、当然という気もします。
なので、気や呼吸のような心寄りの感覚を、身体感覚とつなげていく。もともとカラダに備わっているしくみを使います。
先日の回では、命門という腰のあたりを使って、逆腹式呼吸を使った気功が参加者に届いたようでした。
薬膳などでは、人は生まれたときに両親からもらったエネルギーと、日常の食べ物から取るエネルギーで生きていると言われます。
両親からもらったほうの気は、腎に蓄えられているとされます。そして、腎が動けば気が動くと言われます。
これが医学的にどうなのかは、僕は説明できません。ただ、その考え方に沿って腰のあたりを使う運動をすると、やっていて気持ちがいいですし、カラダが温まる感じがします。寒い時期には重宝しています。
効くから正しい、と言いたいわけではありません。気持ちがいいから続いている、というだけの話です。

葛藤があると、エネルギーはそこでロスする

どこに何を蒔いたらいいか、畑に訊いてみたことがあります。自然栽培で畑をしていた頃の話。

先日は、気とカラダのWS。 生まれたばかりの心と身体感覚が一つだった赤ちゃんの時から、人は肉体が成長するにつれて2つの感覚がしっかり分離していき、理性的に切り離せるようになっていくと立派な社会人になっていく。 それが今の […]

赤ちゃんのときはひとつだった感覚が、大人になるにつれて分かれていく。そのあとに出てくる違和感についての話。

料理をしているときに聞かれて答えられない質問について。カラダは何種類も重なっている、という前提から書きました。

重ね煮はおいしい。でも毎日作ると、重ね煮の味に飽きる。そこから切り方のほうに移した、という経緯の話。